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面子って一体なんだ?

今朝テレビを見てたら、日中韓3か国の環境閣僚会議に代理出席した中国の次官が、中国の環境相が来られなかったお詫びの言葉を述べた際、次官は「お詫び」と言わずに「よろしく」と言い換えたと伝えていた。この言い換えがバレたのは、次官が口頭では「よろしく」と言ったにもかかわらず、中国側の通訳は用意されていた原稿通り「お詫びする」と述べたためという。どうでもいいようなことがニュースになるのは、靖国神社の春の例大祭に日本の政府閣僚や国会議員が大挙参拝し、これに不快感を示した中韓両国のうち、中国は環境閣僚会議に環境相を欠席させたと見みられていたからだ。地球環境汚染の“主犯”とされる中国としては、会議を逃げるわけにゆかず次官派遣でお茶を濁そうとした。ところが、欠席理由をボカして「来れなくてごめん」と軽く謝るつもりだったのに、次官は次官で肩に力が入りすぎ「お詫び」を「よろしく」にすり換えてしまったのだろう。つまりは、中国が大事にする面子を保とうとするあまり、かえってボロを出す形になったといえる。尖閣諸島をめぐって反日暴動や日本品不買のほか領海侵入などを繰り返す中国のやり方が、かえって世界の反発を買い中国自身の首を絞めていることを認められないのも、やっぱり面子のせいだろう。居丈高になればなるほど、国際社会にも自国民にも見離されるということを、早く悟るよう勧告したいものだ。
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憎しみの連鎖を断つために

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恐るべし“政治の季節”

2012年は国際的にも政治の年とされてきた。米露仏韓では大統領選、中国では10年ごとの政権移行が予定され、結果次第では世界の政治地図が変わる可能性もあるからだ。プーチン支配が継続した露、中道右派から左翼政権に変わった仏に次いで、米では11月投票に向け民主オバマと共和ロムニーが激突。隣の韓国では、再選のないイ・ミョンバクの後釜を狙って親北と親米両派のせめぎあいが続く。さらに共産党独裁の中国では10月、団派の胡錦濤から太子党の習近平にバトンがわたるとみられるが、経済の減速や爆発寸前の民衆の不満がどう影響するか?各国とも政権選択の焦点は経済の立て直しだが、世界同時不況含みの現状ではこれといった決め手がない。中韓に至っては、政権批判を反日キャンペーンにすり替えようとする動き(竹島、尖閣)さえ見せている。国内の矛盾を隠すため対外緊張をあおるのは、有史以来使い古された手であるが同時に危険極まりない禁じ手でもある。イミョンバクは自身の竹島訪問や天皇訪韓謝罪要求などが、日韓関係を「正常化以前」の状態に押し戻しかねない愚挙・暴挙であることを理解しているのだろうか?こうした中韓に対し、日本の政治はキチンと対応する暇もなく、自らの“政治の季節”に没入してしまった。国民から総スカンを食いながら延命に躍起の民主党。政権返り咲きに狂奔する自民党。経済財政危機や災害復興、国の安全保障までなおざりにして党利党略に明け暮れ、党総裁や代表選挙にうつつを抜かしている。国の安全や国民のくらしを守る政治の使命はどこに行ったのか!政治の季節とは、政治に任された重大な使命を果たす千載一遇の時を指すのであり、それを忘れた政治の季節は「政治の危機」もしくは「国家・国民の危機」だと言わざるを得ない。

“いじめ”と日本

いじめ問題に揺れる日本が、国際社会では“いじめられっ子”であるのにお気づきだろうか?尖閣、竹島、北方領土問題に限らず、超円高をはじめ過重な国際負担(分担・出資・支援金…)や、国際交渉での孤立・屈辱などに耐え忍ぶ姿には、理不尽ないじめから自殺にまで追い詰められるいじめられっ子を連想させるものがある。学校などでのいじめには外部の救いもあり得るが、弱肉強食の国際社会ではそれも期待できない。放って置けばやがて亡国に至る危機をどうもやって避けるのか?それには先ず徹底的な自己診断が必要だが、驚くべきか当然なのか、そこには国家にも個人にも共通する特徴・性向が見てとれる。それは、①争いを好まない温和さ、②こちらが譲れば相手もそうすると期待する読みの甘さ、③自分さえ我慢すれば丸く収まると諦める人の良さ、そして④追い詰められても戦うのは避けるべきだとする“過度の自己規制”などだ。こうした“弱点”がなぜ形成されたかはさておき、日本の外交が政権交代を境に領土問題でさえ完全に相手になめられ、国を守ることさえ覚束ない有様だ。平和のためなら何でも耐えるという“非武装・無抵抗・平和主義”の先にあるのは、日本と大和民族の消滅という悪夢しかない。いのちを守るためには戦っていのちを捨てるだけの覚悟をしない限り、この国際的いじめのサイクルからは脱却できないだろう。

さらば中国人団体観光客?

大震災と原発事故で激減し、その後回復した中国から日本への団体観光客が、この夏以降再び減るかも知れない。そのワケは、中国側の法外な料金引き下げ要求に、日本側のコストカットが限界に達し、これ以上受け入れを続ければ、旅行社もホテルや旅館も立ち行かなくなるという、深刻な事情がある。中国人団体客の受け入れは、日中間の取り決めによって、日本の旅行社は中国で直接集客することができず、中国側が取りまとめた団体客をいわば言い値で受け入れてきた。その結果、中国側業者は募集価格からピンハネする自分の取り分を最大化するため、極端に安い料金を日本側に押し付け、ついに日本側もこれ以上の出血サービスに耐えられなくなったためだ。最近では往復の航空運賃と1週間程度の滞在費などを合わせ1日平均5000円以下という超安値にもかかわらず、中国人団体観光客の日本に対する評価は、主要対象15か国のうち下から2番目の低い評価だという。その原因に挙げられるのが、日本国内にある中国人経営の免税店と中国人添乗員が結託した土産品の押し売りで、1瓶3000円程度の日本の化粧水を1万円近い値段で売付け、その儲けを店と添乗員が山分けするといったカラクリが横行しているという。つまり、中国側の旅行社は受け入れ側の日本の観光産業を骨までしゃぶり、さらに中国人業者も団体客から金を巻き上げるという構図が見えてくる。そこには、日中双方の観光振興を図ろうとか、顧客の満足に奉仕しようなどの共存共栄精神は欠片もなく、儲けるだけ儲けてあとは野となれ山となれの、荒涼たる拝金主義が残るだけだ。共産党独裁下の汚職腐敗で増幅された精神の荒廃によるものななのか、ともあれことは観光にとどまらず日中関係の未来にも重くのしかかっている。

苦難のもとは人間の愚かさと身勝手か

022_convert_20120509154727.jpg5月6日は人間の愚かさと身勝手さを改めて確認する日になったようだ。欧州金融不安の元凶ギリシャの総選挙では、財政再建路線を維持しようとした与党連合が過半数を得られず、フランスではユーロ防衛のためドイツに共同歩調を取らせてきたサルコジ大統領が、緊縮路線見直しを掲げた社会党のオランド候補に敗れた。おかげで週明けの欧米はじめ世界の市場では、軒並み株価が大幅下落。ユーロ安・ドル安から円高が再燃しかねない。その日本はどうかと言えば、財政・社会保障の一体改革に政治生命を“賭けた”はずの民主党・野田政権が、“限りなく有罪に近い無罪”判決の後復党した消費増税絶対反対の小澤“ヤミ将軍”に振り回されている。そもそも米欧日の先進国経済がおかしくなったのは、強欲市場主義を野放しにする一方、選挙民には迎合するしか能のない政治が続いてきた結果だが、最終責任はその政治を許してきた国民が負うしかあるまい。社会保障費の増大、財政赤字拡大、国債の信用低下、金融通貨不安のサイクルの根底にあるのは、結局身の丈以上のものを望んで無理を重ねた人間の欲だろう。西欧文明の発祥地ギリシャが、世界経済のブラックホールにもなりかねない中、建て直しの足を引っ張るのが、相も変らぬ人間の愚かさと身勝手であることを、改めて認識せざるを得ない。写真は去年5月庭先に咲いたアヤメの仲間。

開拓者たち 続編

野の花前掲番組の第4回を見た。「開拓者たち」は引揚船に乗って帰国。故郷に帰るが快くは受け入れてもらえず、新天地を求めて福島県那須高原に集団入植。竹林の開墾という難業に取り組み、大陸に残したと家族との再会を希望の灯に、周囲の蔑視に耐えて生活再建に取り組む。思えばあの時期、日本は敗戦ショックで茫然自失の状態にあり、他人を思いやる余裕すらなかったことが分かる。東日本大震災の直後世界で称賛された日本人の自制心や助け合いの心は、中国に抜かれたとはいえGDP世界3えられてのいたせいかと思う。極貧と生存の危機下でも助け合える日本人であってこそ、本当の称賛に値するのだがと考えさせられた。写真は我が家の庭に咲いた野生のゆりの仲間。

「開拓者たち」を見て

昨夜NHKドラマ「開拓者たち」の再放送を見た。シリーズ3回目(?)の方正から新京(長春)にかけての逃避行を描いたものだったが、死に行くもの生き残るものの別なく互いを思いやり、わが身を捨てても仲間を助けようとする姿に涙を禁じえなかった。私が育った信州からは満蒙開拓の名のもとに、多くの農家の二・三男らが満州に渡って命を落としたり、取り残された子供らが残留日本人孤児となったりした悲しい歴史があるだけに、他人事とは思えなかったからだろう。当時私の父は小学校の教員として諏訪地方の山村に奉職しており、上層部からは満蒙開拓青年団員の募集を命じられていた。しかし、農家の長男でもあった父は、外地に行くまでもなく足元に耕す土地があるとして、教え子の誰一人として推薦しなかったという。その懲罰として、父はそれこそ車も通わぬ木曽の山奥の分教場に飛ばされ、終戦後の異動で郷里復帰が許されるまで家族の顔もほとんど見られなかった。諏訪地方ではその後引揚者が各地に入植し、私の故郷の村も戦時は8つだった集落が12まで増えている。何のための満蒙開拓だったのか、夥しい犠牲を生んだ歴史の一コマを振り返りながら、しばらく考えさせられる時を過ごした。
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Author:suwanoumi
PC勉強中の後期高齢男性。趣味は土いじりと読書、歴史ものが中心。今は桜にからむ日本と米国の交流の歴史を追いかけています。ブログは始めてまだ1日、これから楽しみです。

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